落語かぶれの年末年始

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古典落語「芝浜」の一場面に、大晦日の夜に福茶をすするシーンが出てきます。原材料は、昆布、梅、黒豆、塩。緑茶ではなく、結婚式のときに飲む桜茶と同じ、おめでたい日の飲み物です。
さっそくこれに習って茶をすすり、だらだらと落語のDVDなどを見ていたら、双方の実家から大量に餅が届きました。数えてみたら100個近くあった。げに恐ろしき正月の餅バブル。
今年から落語を聞き始め、すっかりどっぷりはまりました。
今までは「おじいさんのおじいさんによるおじいさんのための演芸」という認識しかなかったのですが、ぜんっぜん違いました。ロックです、ロック。大衆性、時代性、批評性。客とのコール&レスポンス。
で、いろいろと聞くうち「立川談志の芝浜はすごい」という評価があるのを知りました。さっそくDVDを買い、観賞。
・・泣きました。初めて落語で泣いた。というか、フィクション・ノンフィクション問わず何かを見て涙したのはもう10年ぶりくらい。大体こういうのは冷めて見るタチだから、自分でもびっくりしました。一人の人間が座って喋っているだけなのに、映画を見たような充実感があって不思議な気分になった。自分は落語初心者だし、談志にはアンチも多いからそういう方はスルーなり温かい目で見るなりして頂いて、これは私が率直に思ったこと。
どこが心に刺さるのか?人間の本性、醜さをありのまま醜く表現しているところ。
江戸情緒とか人情とか、そういうのはもちろんあるんですけどそれらを凌駕するリアル。江戸時代の噺だからといって、過去のおとぎ話には感じないんですね。今まさに、目の前で起こっている人間の生々しい感情。それが客に向かってバンバン打ち込まれるんだからそらもうただじゃいられない。間違っても「聞いた後にほっこりした気分になる」とかいう種類のものではないです。
談志版芝浜にメッセージを読み取るとしたら、やはり彼の持論「落語とは人の業の肯定」から展開する「人間の本性」でしょうか。
怠惰に徹する。せっぱ詰まって心を入れ替える。追いつめられ不都合を他人のせいにする。ひれ伏して許しを乞う。そしてそれを救うのは何か?愛、といってしまうのは簡単且つ安易。妥協や逃避もあるだろう・・しかしそこまでして守ろうとするのはなんだ。一巡してやはり愛か。
やっぱもっかい見なきゃ分からないな。もう一杯、福茶を煎れてこようか。

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