ヤッホー!暮らしの往復書簡vol.31宿ること、宿られること

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これは、私が住む神山町の隣、佐那河内村に住むフードデザイナー・小林幸(こばやしゆき)さんとの公開往復書簡です。

日々の暮らしの中で思ったこと、気づいたことをお互いのブログでお手紙のように伝えていきます。

小林幸さんのサイト

https://yfd-studio.net/

小林さま

前回の小林さんの記事、たしかにと思ったのでそのことについて書いてみます。

私たち人間は他の命をいただいて生きており、この罪悪感を拭おうと色々な行動をしてきました。ですが私たち人間の営みが、木々の、地球の活動のエネルギーになっているのだとしたら・・

「生きることへの罪悪感」は現代においてわりと突きつけられがちですよね。

環境破壊然り、動植物を食べること然り。

ですがあえて考えると、私たち人間は他者を搾取・寄生するだけの存在ではなく

この身に他の生き物を住まわせている「宿主」でもあります。

木にもいろんな命が宿っている

人間の皮膚(あるいは内臓)でしか生きられない常在菌とか

あまり歓迎できないですが寄生虫とか。

拡大解釈すればミトコンドリアもそうかも。

実がついて鳥が食べる

私が死ぬということは彼らも死ぬということです。

人間は他の命をいただくと同時に、他の生命に命を分け与えている存在。

(だから、食べることは彼らのためでもある=生きるために動植物問わず何かを食べる正当性があると思っています)

蜜を与えて花粉を運んでもらう

人間は脳や理性が発達しているので、つい

「人間は自然環境に対して影響を与えられる」

「人間は自然とは離れた別個の生命」と思いがちですが

その境はかなり曖昧なんですよね。

ではでは。

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