ヤッホー!暮らしの往復書簡vol.27遊びと柱のこと
これは、私が住む神山町の隣、佐那河内村に住むフードデザイナー・小林幸(こばやしゆき)さんとの公開往復書簡です。
日々の暮らしの中で思ったこと、気づいたことをお互いのブログでお手紙のように伝えていきます。
小林幸さんのサイト
小林幸さま
「遊びって何ですか?」
「あなたは遊んでいますか?」
という前回の問いかけで、思い出したことがあります。
古代の木造建築の話です。
木造の塔の中心には「心柱」という柱が立っていて、その周囲には「遊び」の空白があります。
要するに、塔の中心は吹き抜けになっている。
その遊びのおかげで、地震や台風があっても何千年もしっかり建っているんですよね。
この仕組みは、現代のスカイツリーなどにも生かされているそうです。古代の技術ってすばらしい。
心柱の説明、西岡常一さんという宮大工さんの著書から引用しますね。
まず中心柱を心礎の上に置いて、そしてその周囲に四天柱や桁など側を建てていく。そして二重、三重と組み立てていく。
それで荷重そのものは側が持って、心柱は心柱自身の荷重だけしか持ってませんのや。他とは一つもつながっていませんのや、別のもんですわ。
そやけども、心柱の周囲に井桁というものがあって、囲んでいるわけです。
そやから風があって、地震があって、もし塔が揺れても、井桁でもってはさまれているから干渉し合って止まるわけですわな。そういうふうな構造ですわ。
塔は心柱とは、全然、荷重的な関連はありませんです。
斑鳩の匠 宮大工三代(西岡常一、青山茂)
(西岡常一さんは昭和最後の宮大工と称され、法隆寺修復の棟梁をはじめ、数々の古代木造建築の再建を手がけてこられた方です。実績と技術もさることながら、その知識と知恵からくるお話がとても面白く、時間があれば著書を読み返しています)
あんな大きくて高い塔の中心にある柱が、他のなにも支えておらず、しかしそれが揺れを吸収するからこそ、全体が倒れずに済む。
支えないからこそ、支えることができる。
老荘思想の「無用の用」にも通じる気がします。
木のつながりで話を続けますと、
日本語では神様を「柱」という単位で表しますが、それは、昔は大きな木を神様としていたからとか、神社の柱それぞれに神様が宿るからとか、いくつか説があるようです。
いずれにしてもつまるところは、
日本は自然が豊かであり、そこにいろんな神様を見出した
神様を見出すときも祀るときも、木が密接に関連していた
ということかと推察できます。
(余談ですが、某人気漫画でも柱という言葉は似たような意味で象徴的に使われていますね・・)
遊びがあっての柱。
柱があっての遊び。
全く逆の性質に思えるものですが、補完しあってバランスが取れるのかもしれません。
ではでは。