ヤッホー!暮らしの往復書簡vol.9鳥獣戯画と無題問題
これは、私が住む神山町の隣、佐那河内村に住むフードデザイナー・小林幸(こばやしゆき)さんとの公開往復書簡です。
日々の暮らしの中で思ったこと、気づいたことをお互いのブログでお手紙のように伝えていきます。
小林幸さんのサイト
小林幸さま
そうだ、前回の小林さんの記事を読んであらためて思い出したので、ここでも書いておいていいでしょうか。
【無題】問題のことです。
そもそものところからお話ししますと、私は長らくアート作品に「無題」とついているのが嫌いでした。
(ふだんの生活では嫌いという言葉を使わないようにしているけれど、これだけは嫌いでした)
わたくしアート界隈にまったく詳しくないので既にこういう議論があったのならすみません。
人間がなにか作品を生み出したからには、必ず「これを表現したい」「伝えたい」という想いがあるはずで、
それなのに、できた作品に対して「無題」ってどいうことだろう??
あまつさえ作家のインタビューでよくある
「見た人が自由に感じてくれれば・・」がほんとに理解できなかったのです。
作品は自分の子供にも等しい存在なのに、
それに対して一切の説明(=責任)を放棄しているように思えて。
とくに私は、まず言葉で世界を理解しようとする人間なので戸惑いが大きいのかもしれません。
あとほら、作者が亡くなって作品がどこかの美術館などに所蔵・管理されたとき、
せっかく実物は素晴らしい色彩とフォルムのオブジェだったとしても「無題」だったら、
管理エクセル上ではなんのヒントもアピールもできないではないか・・とも心配したりして。
せっかく作った作品、一人でも多くの人に見てもらうために、言葉にも気を配るべきではないのかと。
そんなこんなでずっと、「無題」に対しては冷ややかな態度だったのですが、
それが思いっきり覆されたのが、私がこよなく愛する「鳥獣戯画」でした。
鳥獣戯画、昔から大好きです。
筆一本で描かれたウサギ、蛙、猿、鹿、たくさんの動物たち。
川や原っぱで実にいきいきと楽しそうに遊んでいる様子が、いくら見ても見飽きなくて。
この世の美術作品の中で一番好きな絵です。
好きなのでもっとよく知りたいと思い、ときおり出版される特集の本などを読んでいたのですが、「無題」とからめて考察すると大変なことに気がつきました。
どういうことかというと、あの有名な「鳥獣戯画」の絵巻物は、あの作品のどこにもタイトルがついていないのです。
タイトルだけでなく、誰が、いつ、誰のために、何のために描いたのか何も分かっていない。
数々の研究で「この人物の作品では?」と推測するまではできているけれど確定ではなくて。
「鳥獣戯画」という作品名も、「甲巻」「乙巻」というナンバリングも、後の時代の美術関係者や研究者が仮に付けたものなんですよね。
無題作品にも関わらず、国宝にまでなっている!
・・というわけで、さっきあれほど「無題だといろんな人に見てもらえないではないか」と主張したのにそうではなく、逆に、
「本当に優れたアートであればタイトルも解説も不要、それに魅了された人が勝手に名付けて広めてくれる」
「アートそのものの強さだけで人を魅了し続けている」
「アートに言葉は不要」
というすごい結論になりました(私の中で)
自分が一番愛している美術作品が、最も毛嫌いしている「無題作品」なのであった・・というオチでびっくり。
ではでは。