ものづくりをすると迷いがなくっていく理由。

曲げわっぱな日々

LINEで送る
Pocket

曲げわっぱを作りながら
「あ、こういうことか・・」と

気づいたことがあったので
お話しさせてください。

素材と向き合って淡々とものづくりをしていると、

頭の中は空っぽなんだけど
手先だけが
何かを考えて
何かを感じている

そんな気持ちになることがあります。

素材の声が分かるというか。

こう言うと
何かものすごい匠のような
言い方になってしまいますが・・。

最近は、
この板はもうちょっと
こうしてあげた方がいいなーとか

少しずつ分かってくるようになりました。

もう一つ思ったのは、

淡々と素材に向き合って
何かを作ることは

【祈り】

と、同じ行為ではないかと。

繰り返しの中に神が宿る。

同じ時間に
同じように対象に向かって
同じ動作をする。

礼拝もそうですよね。

毎日同じ時間に
同じ方向を向いて
同じ動作をする。

大きな対象に向かって。

そう考えると
ものづくりしている人、
手で何かを作っている人、
みんな何かに祈っているのだ、

ということに思いが至り、
曲げわっぱを作りながら
一人で静かに感動していました。

自然素材を相手にしていると

いくら自分が努力上達したところで、

この自然の素材を作った
圧倒的な【何か】
あるいは【誰か】 がある、

ということに想いが至ります。

上手に作れないうちは、
自分でじたばたして
ああだこうだと
悪戦苦闘していたんですけれども、

ちょっとだけ
最近は、なんとなく…

なんて言うんですかね、
元々の素材に対して
自分がどのように手助けできるか、
どのように手を加えさせていただくか

という
「力の抜き方」に
変わってきたような気がします。

ですから本当に最近は、
作っているときは心の中は穏やかと言うか

心の耳をすませて
それがどういう風に形を変えるのが
一番心地いいのか。

そんなことを感じるようになりました。

もの作りだけじゃなくて、
写真もお料理も
絵を描くとか音楽も
全部そうなのかもしれないですね。

一つのことに
とことん向き合うと、
おそらくどの世界でも
同じ境地に至るのではないかと
思ったりします。

そういえば、
【作るクラス】や
【楽しむクラス】で
生徒様が真剣に作業する横顔。

なにかに似ているなあと
ずっと思ってたのですが

「祈り」の表情なのかもです。

「とても集中するけど、
気分はすっきりするんです」

みなさんそんな風に仰っているのが
印象的です。

ひとつのことに集中すると
「ああしなきゃこうしなきゃ・・」という
ぐるぐるとした迷いが消えるんですよね。

そういえば
神社に参拝したあととか
お墓参りとか
観光地の寺院に立ち寄ったあとでも

私の場合、
なにか風通しの良い気分になります。

そんなことも思い出しました。

LINE@はじめました。
ブログの最新情報が受け取れます!
友だち追加
IDは@rai0672aです。