ものづくりをすると迷いがなくっていく理由。
曲げわっぱを作りながら
「あ、こういうことか・・」と
気づいたことがあったので
お話しさせてください。
素材と向き合って淡々とものづくりをしていると、
頭の中は空っぽなんだけど
手先だけが
何かを考えて
何かを感じている
そんな気持ちになることがあります。
素材の声が分かるというか。
![](https://magewappa-bento.com/wp-content/uploads/2019/08/manufacturing-and-prayer-3-1024x512.jpg)
こう言うと
何かものすごい匠のような
言い方になってしまいますが・・。
最近は、
この板はもうちょっと
こうしてあげた方がいいなーとか
少しずつ分かってくるようになりました。
もう一つ思ったのは、
淡々と素材に向き合って
何かを作ることは
【祈り】
と、同じ行為ではないかと。
繰り返しの中に神が宿る。
同じ時間に
同じように対象に向かって
同じ動作をする。
礼拝もそうですよね。
毎日同じ時間に
同じ方向を向いて
同じ動作をする。
大きな対象に向かって。
そう考えると
ものづくりしている人、
手で何かを作っている人、
みんな何かに祈っているのだ、
ということに思いが至り、
曲げわっぱを作りながら
一人で静かに感動していました。
![](https://magewappa-bento.com/wp-content/uploads/2019/08/manufacturing-and-prayer-2-1024x512.jpg)
自然素材を相手にしていると
いくら自分が努力上達したところで、
この自然の素材を作った
圧倒的な【何か】
あるいは【誰か】 がある、
ということに想いが至ります。
![](https://magewappa-bento.com/wp-content/uploads/2019/08/manufacturing-and-prayer-3-1024x512.jpg)
上手に作れないうちは、
自分でじたばたして
ああだこうだと
悪戦苦闘していたんですけれども、
ちょっとだけ
最近は、なんとなく…
なんて言うんですかね、
元々の素材に対して
自分がどのように手助けできるか、
どのように手を加えさせていただくか
という
「力の抜き方」に
変わってきたような気がします。
![](https://magewappa-bento.com/wp-content/uploads/2019/08/manufacturing-and-prayer-4-1024x435.jpg)
ですから本当に最近は、
作っているときは心の中は穏やかと言うか
心の耳をすませて
それがどういう風に形を変えるのが
一番心地いいのか。
そんなことを感じるようになりました。
もの作りだけじゃなくて、
写真もお料理も
絵を描くとか音楽も
全部そうなのかもしれないですね。
一つのことに
とことん向き合うと、
おそらくどの世界でも
同じ境地に至るのではないかと
思ったりします。
![](https://magewappa-bento.com/wp-content/uploads/2019/07/kamiyama-magewappa-tsukuru-class-20190720-11-1024x683.jpg)
そういえば、
【作るクラス】や
【楽しむクラス】で
生徒様が真剣に作業する横顔。
なにかに似ているなあと
ずっと思ってたのですが
「祈り」の表情なのかもです。
「とても集中するけど、
気分はすっきりするんです」
みなさんそんな風に仰っているのが
印象的です。
ひとつのことに集中すると
「ああしなきゃこうしなきゃ・・」という
ぐるぐるとした迷いが消えるんですよね。
そういえば
神社に参拝したあととか
お墓参りとか
観光地の寺院に立ち寄ったあとでも
私の場合、
なにか風通しの良い気分になります。
そんなことも思い出しました。